エピローグのない物語。
プロローグとは夢の実現だった

オーナーシェフ山本敬三は夢を追っている。
誰にでもできるパン屋をやるのではない。
自分にしかできないパン屋をやりたい。
あらゆる客を満足させる店。
お年寄り、家族連れ、小さな子供、舌の肥えた人、遠方からわざわざ出向いてくる人、健康を気づかう人…。

そのために山本の課したハードルとは、毎日250種類ものパンを店に並べることだった。
当然、すべておいしく。
リテールベーカリー(店内に厨房を備えた店)として最大級の種類を、安心・安全な素材のみで手作りする。
簡単なことではない。
自分の持てる技術、体力、なにより情熱のすべてを注ぎこむ決意で、山本はパンステージ プロローグを立ち上げた。

250種すべてに自家製発酵種を使用

長年のキャリアで培ったさまざまな引き出しから、山本が選び取った方法論は、すべてのパンに自家製発酵種(ルヴァン)をミックスすることだった。
店の片隅で静かに発光する計器類。
愛工舎製作所の天然酵母発酵機「ルヴァン30」は、プロローグ/エピソードの心臓である。

「この中に開店以来12年継ぎつづけている自家製のパン種(ルヴァン)が入ってる。
すべてのパンにルヴァンを入れてます。
イーストは必要最小限で作りたい。
その分、発酵は長時間。
パンは焼き上がった瞬間から老化がはじまる。
でもルヴァンなら、翌日でもぜんぜんやわらかくてしっとり。
カビるのも遅い。
ルヴァンって、小麦の味わいや深みを最大限に引き出すことだと思ってる。
しかも、このやり方(発酵機による方法)なら酸味が生地に出ない」

自家製酵母・長時間熟成ならではの味わい

天然酵母のパンは硬く、すっぱく食べにくい。先入観は、プロローグによって破られる。
250種類の中には、本格的なフランスパンもあれば、あんぱんやクリームパン、食パン、コッペパンのようななじみ深いパンまですべて網羅されている。
すべてふわふわで、食べやすい。
12年という時を経て熟成された自家製酵母でしかだせない、味わい深さがある。
一方、ルヴァン(自家製酵母)だけでは発酵が不安定なので、イースト(工業的に作られる酵母)も併用する。
だが、ごく少量。

「基本的にイーストはかなり少ない。
その代わり、発酵は長時間とりたい。
イーストを2%入れて発酵1時間でやっちゃうのか、1%しか入れないで発酵2時間でやるのか、そういうちがい。
発酵が長いほうが当然おいしいよね。
粉の味わいとか甘さがちがう。
そうやって作ったパン、常温で3日ぐらい出しっぱなしにしといても、切ってトーストして焼けばぜんぜん問題なく食べられるし、味わいはしっかり残ってる」

プロローグはあって、エピローグはない。

山本敬三はプロローグ(序幕)という店を立ち上げ、次にエピソードを開店したが、いまだにエピローグ(結末)という店は出していない。
まだ、長い旅の途中にいるからだ。

「創業何百年同じ味とか、オープン当時の味をずっと守っている店ってあるでしょ?
それはない。
いいと思ったら変えるべきだと思ってる。
材料業者さんも、よりいいものとか、品質よりよくしようと思って作ってくるから、いいと思えば切り替えるべきだと思っています。
時代によって人の好みも変わってくる。
それに近づけてってもいいと思ってるんですよね。
いまの作り方がベストだと思ってないから」

目に見えないことの積み重ねが、味の差を生む

山本にとってのパン作りとは、「ベスト」だと思いこんだことをひたすらつづけていくことではなく、「ベター」だと気づいた小さなことを絶えず積み重ねていく作業である。

「材料を変えて作ってみて、食べ比べてこれがいちばんいいだろうって判断する。
たとえば、『普通の食卓塩と、粗塩、どうちがうの?』って。
食べた瞬間に『こっちのほうがおいしい』ってすぐわかるような、劇的な味の変化って、パンにはない。
普通の食卓塩って、成分表示見ると、Nacl(塩化ナトリウム)が99.いくつ(%)になってる。
プロローグが使ってる粗塩は89.いくつ(%)。
その分、ミネラルとかが多いんだよね」

「そういう細かい積み重ねが、『なんかここのパンちがうな』っていう、お客さんの印象につながる。
材料になにを使ってるからとか、劇的な原因ってないんですよ。
『ここは手間かけて発酵長くとろうぜ』とか、パンってそういう地味なことの積み重ねなんですよ。
常にいいものをって思ってるから。
もの作りってそうじゃないですか。
いつもいいもの作ろうと思って取り組んでれば、『これでいいや』ってものないんですよ」

砂糖、油脂、小麦粉…材料の探求は尽きない

「上白糖(砂糖)ではなく、グラニュー糖を使っている。
砂糖よりグラニューのほうが甘さの引きが速いから、食べたときしつこくないんですね。
バター10%だったら、ショートニングを2%入れて、バターを8%にする。
そうすると、バター臭い匂いが抑えられる。
油脂だけでも、バター、マーガリン、ショートニング、ラード、サラダ油、オリーブオイル、こんなに使い分けてる。
主張したくない。
食パンだったら、お客さんがジャムとか、バターとか塗って食べる。
それが活きる味にしときたいんですよ。
食パン食べて『うわー、あめー!』とか、『バターの香り、すごいな』とか、自分のイメージとはちがう。
焼き上げるパンのイメージによって、油脂の種類は変えてます」

長年パンを作りつづけ、何度も試作を重ね、あまたある粉の特徴を完全に手のうちに入れた職人だけができる仕事がある。
「粉はブレンドしてる。
2種類とか、3種類とか。
1種類で使ってない。
食感とか、色づきとか、香りとか、味わいを表現するために。
粉によって、できるパンの特徴はちがう。
たとえば、Aっていう粉を70%、Bって粉10%、Cって粉20%をたす。
Aっていう粉はこういう特徴があるから、Aにない特徴をBによって入れたいとか。
さくっとした食感だしたいなとか。
引き(生地の伸び)を弱くしたいなとか。
きめを細かくしたいなと思ったら、超高タンパクの強力粉を入れるとか」

「こだわり」ではなく「当たり前」のこと

250種類のパンを提供するプロローグでは別配合の生地だけで25種類ある。
それだけの種類を、粉をいちいち量って、毎日ゼロから作る。
決して手は抜かない。

「1種類でやったほうが楽です。
工程は少なければ少ないほど、仕事は楽になる。
3種類も4種類も使ってたら、1種類のパンのために3回も4回も粉を量んなきゃならない。
プロなら、そういうことを普通にやんなきゃダメなんです。
『これがこだわりです』とか人にいうんじゃなくて、普通にやってなきゃだめ。
素材にこだわるとか、製法にこだわるとか、そんなのは当たり前のことなんだから。
当たり前のことをいかにちゃんとできるかにかかってるんですよ。
材料の計量だけでも2時間かかるから。
遅い奴だったら4時間とか。
おいしいパン作るためにはそういうことやるのが普通なんですよ。
別に特別なことやってるとはぜんぜん思ってない。
油を何種類も使い分けてることだって、粉だって、普通それを『こだわり』っていう。
俺にとってはこだわりでもなんでもない。
『おいしくするためにはどうするのか』って、追求してったらたまたまそうなっただけで」

山本シェフの本当の「こだわり」とはなにか?

もちろん、単純にいい材料、高い食材を使えば、おいしいものはできるだろう。
だが、プロローグのパンは決して高くない。

「ぜんぶをオーガニックとか使ってたら、フランスパン1本600円とかになっちゃう。
お客さんって、そこまで望んでない。
原価にお金かけるんじゃなくて、手間をかけて還元する。
仕事に手間かければ、おいしいものはできる。
なおかつ、手間賃とらなきゃいいんですよ。
安く売りたい。
安くておいしいほうがいいじゃん。
追求していくとそうなっちゃったんですよ」

よりおいしい素材、製法を選択することは、「こだわり」ではなく「当たり前」にすぎないと語る山本の、本当の「こだわり」とはなんなのか。
ひとをよろこばせたいと願い、客の「おいしかった」というたった一言のために、どんな苦労も手間も厭わない情熱、心意気。
それこそ、なにより山本敬三がこだわり、大事にし、突き動かされているものだ。
情熱が燃えつづけているかぎり、パンという物語にエピローグは訪れない。

▲ページ先頭へ